[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0394 大切な紙切れ

 

 お金。資本主義の現代ではこれさえあればまぁ人生がなんとかなるし、基本的にはあればあるほどよいものです。潤い、豊か、自由、お金は単なる引き換えチケットなんだけど、お金そのものに執着してしまって破滅するパターンもある。関わり方が難しい部分もあるけれど、上手く使えば可能性はどこまでも広がっていく、切っても切れない人生のツール。

 

「あなたは何にお金を使っていますか?」という質問をする。一番最初に出た回答がその人が大切にしていることです。わたしの場合は「本」、友人は「旅行」、知人は「飲み代」、またある人は「美容」。「推し」と答えた人もいたっけな、とにかくシンプルでわかりやすく、相手の人となりが理解しやすいので色んな方にこの質問を投げかけている。お金を使う機会が少ないからひたすらに貯蓄している方もいる、それはそれで素晴らしい。蓄えがあれば将来の自分が生きやすくなる。それでもやっぱり、これだけには惜しまずお金を使いたいってものが一つや二つはあるものです。十人十色で様々な感性、相手が大切にしていること、わたしはもっと知りたいのです。

 

 本を買うときには値段を見ずに購入する、読みたいと思った本は即時購入する。わたしはこの程度だけれど、そこにお金を惜しむようなことはしない。かといって、一般的な書物はそこまで単価が高いわけではないので、月々の合計は全くもって許容範囲内なんである。逆に、今月あれだけ買ったのにこんなもん?なんて明細を見て驚くときもあったりする。そこで、二番目にお金を使っているものなんだろう?考えてみると、それは間違いなく「酒」なのであった。「飲み代」というよりは「酒」、家呑みならたかが知れているものの、BARや居酒屋など気分のアップダウンで容赦なく足を運んでしまう為、金額だけでいえば本を軽々と超えてくる。一度店に入れば死ぬまでの耐久戦、割と多くのお金が飛んでいく。まぁ、いいんだけど、いいんですけど、でもこれって全部「一人」でやってることで、なんかめっちゃ勿体無いよなぁと思うのであった。

 

 これが誰かと時間を共にする「交際費」に変われば、満足度が変わるのではないか。一人でウダウダ言いながら酒を呷るぐらいなら、友人とカフェにいって会話すればいい。お酒が飲みたいのなら、好きな人と居酒屋にいけばいい。最近になって本当に思うのだ。一人の世界に閉じこもっていては、鮮やかな景色を知ることはできない。結局、人間というのは社会的な生き物、自分が開いている状態ではじめて「感動」は起きる。もちろん嫌な思いをすることもある。相性というものがあり、皆一様に善人というわけにはいかないから。それでも、ほんのひと握りの好きな人、大切な人に出会えたとき、これまで生きてきたことは間違いではなかったと安堵する。生まれてきたことは過ちではなかったのだ、そこには「ありがとう」だけが存在している。

 

 お金という引き換えチケットがあれば幸せになることができる。でもその幸せは、そこに「だれか」がいないと忽ち虚無へと姿を変える。どれだけ素晴らしい経験をしても、その経験を語れる相手、聞いてくれる相手がいなければ、どこか自分のなかで不完全燃焼。隣にいなくてもいい、あなたがこの世界で生きていることを想えば、幸せになれることたくさんある。なにか美味しい物を食べたとき、「あの人にも食べてほしいな」と思い浮かぶのが愛。相手が好きな物を手渡すのが愛。その上で愛を強要しないことも、これまた愛。わたしはそういうことにお金を使いたいのです。自分が充分に満たされた上で、少しでいいから大切な人たちと同じ時間を過ごしたい。わたしにとって、お金はその為の引き換えチケットです。お金を使わなくても楽しめる方法はたくさんあるけれど、お金を使って楽しめる幅が広がるのなら、相応の金額は使った方が良いと考えています。なによりも、お金を使えば相手が予想できないようなぶっ飛んだ爆弾、作ることができるのだから。

 

 

 いまこの瞬間に、楽しいことを共有したいね。