[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0395 おしなべて、候

 

 人を惹きつける魅力の正体が大きな生命力なのだとすれば、息苦しさを感じている多くの人々の周りには誰もいなくなってしまうのか。「あなたの強みは自分の弱さを理解していること」、そう言ってもらったことがある。いまとなれば理解というよりは日々奔走、その弱さと向き合うことで何とか自分を保っている状態。これを「良い」と捉える人もいれば、「なんやそれしょうもな」と捉える人もいる訳で、結局は惹きつけるもの、魅力というやつは相手次第な部分が大きいのかもしれない。人って、内面のどこかに好き嫌いが転がっているもので、当人も含めてその嗜癖をコントロールすることはできない、目にも見えない、直感。だから魅力的な人なんて目指さなくていい、自分のなりたい「私」に向かって歩いていければ、それこそが自分至上最高なんである。

 

 テレビ、雑誌、インターネット、あらゆる場所であらゆる人間にむけて「ウケ」が事細かに提唱されている。わたしの捉え方としては「なんやねんそれしょうもな」な訳ではあるのだけど、いつまでもいつまでも「ウケ」が発信され続けているのは、それ相応の需要があるってことだよな。男ウケ、女ウケ、上司ウケ、友達ウケ、一般ウケ。ウケウケウケ、それって本当にウケてるの? 個人的には「自分ウケ」のみ大切にすればいいと思っているんだけど、やっぱり人間ってのはどうしても他人を意識せざるを得ない生き物なのかもな。自分だって、多少はどう見られているかを考えるわけで(そういうこと考えてなきゃそもそも身なりに気をつかっていない)、無意識ながらも誰かしらに対してのウケを気にしているのかもしれないなぁ。だとしても、これまでずっと見ないようにしてきた「○○ウケ」に対する違和感。これが世界に対する反発心とやらであれば、わたしは一体なにが気に食わないのだろう?。

 

 それがあたかも定例パターンであるかのように提唱されている、そこが腑に落ちないのかもしれん。時折、~女性ウケなんちゃら特集~、みたいな企画を目にすることがある。髪型、服装、体型、仕草、こういう感じにすればモテる的な感じで書かれてあって、ひとしきり目を通して残った感想は「なんやのこれ」程度のものであった。そりゃあ、モデルの方はお綺麗でお似合いなんだけど、これを違うひとに施したら全然印象が変わるんじゃないの、服装から仕草までなにもかも全て。結局土台となるのは当人の人間性じゃないんですか? 違ったらごめんなさいね、世界。向けられた「ウケ」の範疇内である人物からすれば、全然ウケてないことの方が多いのだ、きっと。そういうことを頑張っている人、それはそれで素敵だし努力家なんだなぁとは思うけど、わたしとしては適度に身だしなみを整えてさえいれば、あとは人間力の方が大事だと思ってしまうんです。これは年齢性別問わず、すべての人間に向けて。

 

 だからもう、そんな狭い枠になんて囚われないで、好き勝手に「私」を咲かせてください。その姿がどれだけ奇抜でぶっ飛んでいて変てこりんだったとしても、唯一自分だけが納得していれば、それだけでよかったね。自分のお気に入りであれば、周囲の評価なんてどうでもよかったのだ。魅力を求めることなんて、しなくてよかったことだった。惹きつけるほどの美しさ、魅力なんてものは、後付け後付けで気が付けば身に宿っているものなのかもしれません。だから、思うがままに表現を続けてください。わたしもそうやって、生きていこうと思っています。