[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0434 故郷の香り

 

 小学生の全てを過ごした場所を歩いた。以前から歩いてみたいと考えていたものの、実行するまでに十年以上かかってしまった。特に深い意味はない、何となく”いま”のような気がしたのだ。人生が動き始めている、この瞬間に一度過去を味わう必要があった。

 

 当時住んでいたマンションはいまも変わらず存在していて、部屋には他の誰かが住んでいた。それは当たり前のことなんだけど、あの部屋に知らない誰かが住んでいるなんて、なんだか心がもぞもぞする。わたしの全てだった家、帰る居場所であってくれた家。もうどこにも存在しない家族。色々な記憶が甦る、それでも悲しくなることはなかった。遠い過去はどこか温かくて微笑ましい。当時の少年はたくさんたくさん笑えていた。

 

 よく遊んだ公園はなんだかちっぽけに感じて、あんなにも遠くに感じていた通学路はいま歩くとあっという間だった。身体が大きくなったからなのだろう。常に懐かしさばかりが付きまとう。よく買い物していたスーパーでビールを買った。それだけで自分が大人になったことを実感する。あの頃はお酒も、電子決済でさえも、なんにも必要なかったのだ。お金なんて必要なかった、ただ友達と公園さえあれば、それだけでよかった。

 

 ビール片手に道を歩きながら、そういえばこんなとこあったな、うわこの家まだあるんや、この場所にはなにがあったんやろか、なんて一人喜々としながら散歩。通学路には綺麗な花が咲いていて、当時はなんにも気付いていなかった、美しさなんてどうでもよかったんだよな。歩いている内に、帰宅途中の小学生が対面からやってくる。黒い衣服、すっぽり被ったフード、キャップ、サングラス、そして片手にはビール。見た目が完全に不審者の為、なるべく児童が通らない道へと移動した。キャッキャッはしゃぐ小学生たち、エネルギーの塊が列を成しているようで、あの頃って、こんなにも騒がしかったんだっけか。

 

「こんなはずじゃ、なかったんだけどな」

 

 なーんにも考えてなかったあの頃に戻りたい、とは思わない。当時はとっても不自由に感じていたから。自分で決められることがあまりにも少ない、基本的に親の言うことが絶対、自由に使えるお金があらへんこと。住む家があって、毎日ご飯を食べさせていただいて、ゲームとか買ってもらって、充足を与えられていたはずなのに、なんだかちっぽけで退屈だった。ちゃんと自分のあたまで考えて、自発的に行動する。そんな自由と幸せを知らなかった。大人になった現在、これはこれであまりにも自由過ぎるけれど、案外この自由さが気に入っている。

 

 先日、就活生と話していた。「もう憂鬱で仕方がない」と嘆いていたので、「大人って自由でなんでもできるから楽しいよ」と伝えたところ、「周囲の意見が二分化されてる。楽しいっていう人、ものすごく苦しいっていう人、どっちもいる」と言っていた。「それはどっちも正解なのよ、あくまで当人の感じ方次第だから」、彼女は少し困惑した表情を浮かべ笑っていた。自由には相応の責任が付きまとうものだけれど、その責任さえ受け入れれば、愉快に生きられると思うんだけどな。これまで散々世界を嘆いてきた自分が言うのもなんだけども。

 

 少年よ、きみは後に家族とやらを失い、自分は孤独だと思い込み、精神を患う者になる。それでも、その時、その瞬間、助けてくれる人がいて、なんとか今日まで命を繋いでいる。生きる意味なんてない、理由さえも必要ない。どうしてもそれらが必要ならば、自分自身で作りなさい。意味や理由を、優しい積み木を重ねなさい。きみはとっても運がよくて、人に愛されて生かされているから、辛いときは周りにいる方たちを頼りなさい。「ずっとあの場所で暮らしていれば」なんて考えが頭をよぎる、いまのわたしは引っ越してよかったと思えるよ。引っ越さなければ、いま関わっている人たちと出会うことはなかった。あらゆるカルチャーと出会うこともなかったのだ。自分を形作る大切なもの、全てが異なっていたのだろう。わたしは、いまの自分自身を割りと気に入っているよ。当時の理想とはかけ離れたものだけれど、それはそれで、面白くていいんじゃないか。人と違うということはとっても良い事、きみはそのままの自分で、絶望の道を進みなさい。そして、たくさん愛して、愛されて、その中で綺麗な花を見つけてください。

 

 過去は砂となり霧と化す。少年は未来へと歩みを進める。